【人生に救いが欲しい】辛い人、疲れた人へ

    私は幼少期から、心にぽっかりと空洞があるのを感じていました。原因は不明。とはいえ、人生は色々と楽しいこともありました。けれど、総じて空しさを感じていました。「誰か私を助けてください」と心の中で思い、枕を濡らした夜もあります。一体、誰が自分を助けてくれるのでしょうか? そもそも、この辛さを自分は言語化できるのでしょうか。そして、誰が理解してくれるのでしょう。私には、イエス様がいました。辛い人、疲れた人、どうか読んでいただけると幸いです。

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    私の人生は、憐れであり、幸せ者

    人生 救い 辛い 疲れた

    「あなたは幸せ者だね」このような言葉を言われたことがありますか? 私はあります。一方で、「あなたの人生を聞いてると、悲しくなってくる。幸せを願ってるよ」このようなことを言われたこともあります。私はここで何が言いたいのかというと、「もはや人生とは、何一つわからない」ということ。それを受け入れることがいかに重要か、31歳の時にようやくわかりました。

    もはや人生とは、何一つわからない

    人生 救い 辛い 疲れた

    辛いことも、楽しいことも、人生では色々と起こります。ただ、辛いことに関しては、傷は消えないということ。解決しても、しなくても、心のどこかには残っています。過ぎたことを、ふと突然思い出すことだってあります。自分の嫌なことが見えてきます。世間の嫌なことが見えてきます。そして、疲れてきます。私はこの繰り返しを生きることに、意味が見出せませんでした。

    人生を頑張って生きることに飽きてきた

    頑張って生きる

    人生を色々な意味で豊かにしたくて、私は計画立てた生き方をしたことがあります。「行動あるのみ!」と真面目に、精力的に、習慣化を意識して働いたり、何かに挑戦するような生き方をしていました。いわゆる、意識高い系。しかし、頑張っても豊かにはなりません。一番は、心でした。もはや人生の正解がわからなくなり「人生、飽きてきたな」と感じてきました。別にネガティブな意味はなく、ただ「いつまで続くんだろう」と空虚に問うわけです。

    もう疲れた、もう生きたくない

    人生 救い 辛い 疲れた

    実は私、これを書いている3日くらい前に、ベッドに横たわりながら涙がボロボロと出てきたんです。「もう疲れた」と。大前提、うつ病だとか、死にたい願望があるわけではありません。別段、いつも通り生活をしていました。ただ、ふと限界を感じたのでした。「生きることに疲れました」と、私は必死にイエス様に訴え、祈りました。

    人生をコントロールしようとした私

    人生 計画 聖書

    一寸先のこともわからない人生を、それでも頑張ってコントロールすること。これがいかにエネルギーを使うことか、自分の限界点が来ないとわかりません。その時の私は、仕事で成功をしたくて、毎日のように時間と労力を捧げていました。しかし、結果は思うようにいかず。私という人間は無尽蔵ではないため、とうとう心身が疲弊してきたのでしょう。

    いつまで頑張ればいいのか、わからない

    人生 救い 辛い 疲れた

    もし私に結果が現れていたならば、「もう疲れた」はたとえあったとしても、「もう生きたくない」まではいかなかったでしょう。結局のところ、人生をコントロールできないとわかるからこそ、生きる意味にまで悩むのだと思います。上手くいけば、ここまで深く悩みませんから。

    イエス様に祈ることができる私

    イエス様 祈る

    さて、ここからが本題です(お待たせしました)。私の辛さを受け止めてくれる人は、イエス様でした。いえ、私にはもうイエス様しかいませんでした。この絶望した思いを、一体誰に話せばいいのでしょう。誰に話したら、楽になるのでしょう。誰が受け止め、慰めをくれるのでしょうか。本当の心の安らぎは、どうしたら得られるのか。私にはイエス様がすべてでした。

    「わたしを呼べ」を思い出した

    人生 救い 辛い 疲れた

    普段から聖書を読んでいる私でも、このように辛い気持ちになるのです。しかし、私にはイエス様がいます。ふと、自分の中である言葉を思い出しました。これは、普段から聖書を読んでいるからこそ、思い出せたのだと思います。「わたしを呼べ」という主の言葉を。御言葉をすべて紹介しますと、下記の通りです。

    主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。

    旧約聖書 エレミヤ書 33:2-3

    泣きながら祈り、気がつけば朝だった

    イエス様 頼む

    正直、何が本当に辛くて、生きづらい理由が明確にはわかりません。何が原因なのか、わかりません。ただ、心が空虚になり、辛くて、イエス様に「助けてください」とひたすら祈る夜でした。涙が止まらなくなり、気がつけば寝ていました。そして、朝。私は生きていました。心も生きていました。

    イエス様は心のドクターでもある

    人生 救い 辛い 疲れた

    人間、心を病まない人なんていないと思います。みんな、心が弱いです。自覚・無自覚の問題なだけだと思います。感情があるわけだし、怒りやすい人もいれば、悲しみを感じやすかったり、常に楽しんでいそうで空っぽだったりと、何かしら心の辛さは持っているものです。私の場合は、憂いを感じやすいということなだけ。問題は種類ではなく、どうすればいいのかということ。もう、これを読む方はわかりますよね。イエス様に祈ることです。

    イエス様は神様であり、私たちの創造主です

    神様 聖書

    心というのは私たちには見えませんが、イエス様にはお見通し。「イエス様は神様」であり、人の心をすべて知っておられる方だからです。そして、私たち人を造られたのは、「創造主という神様であり、イエス様」です。何が言いたいのかといいますと、私たちを回復できる方は、イエス様のみということ。

    私たちを造られた方は、心もすべてご存じです

    粘土 陶工 神様

    最初の人であるアダムが、神様の手自らによって土から造られたように、私たちも造られています。ちなみに、私たちがイメージしている地面の土とは、きっと違います。肉体であり、命、この摩訶不思議な神秘を造られたのがイエス様です。

    しかし、主よ、あなたは我らの父。 わたしたちは粘土、あなたは陶工 わたしたちは皆、あなたの御手の業。

    旧約聖書 イザヤ書 64:7

    【さいごに】人生に必要なものは、救い

    人生 救い 辛い 疲れた

    私はつくづく思います。イエス様を知ることが、いかに自分を救うのかということを。なぜなら、私を見捨てることのないお方だからです。もはや原因のわからない辛さだって、すべてすべて癒してくれます。圧倒的な安心があります。心が満たされていくのです。空っぽだった頃の私が得られなかった、心の潤いを感じます。それは、静かな喜びです。こんな感覚は、イエス様を知るまでは体験したことがありませんでした。

    私がもっともっと早く知っていれば、どんなに人生が楽だったでしょうか。一寸先もわからない未来を、安心して歩めたかもしれないのに。しかし、過ぎたことでさえも、イエス様に出会えた今は、すべてが道だったと納得できます。だからいいのです。これが、救いです。人生に一番必要なものです。イエス様に出会えたことに感謝します。そして、これを読むあなたも、イエス様と出会えますように。

    【おまけ】イエス様からの約束

    人生 救い 辛い 疲れた

    クリスチャンには、約束された未来があります。私はこの御言葉をはじめて知った時、涙が溢れました。孤独だった私を、どれだけ慰めてくださったことか。これを最後に、ここまで読んでくださった方にプレゼントいたします。

    そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

    新約聖書 ヨハネの黙示録 21:3-4
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    特徴:一番最新の訳で、読みやすい
    特徴:原語(ギリシア語・ヘブライ語)に忠実
    特徴:20世紀に最も親しまれたポピュラーな訳
    特徴:大正時代ならではの文学感のある文章
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