【しげくにさき】自己紹介|寄留者のような人生から救われた

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    しげくにさき

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    こんにちは。「しげくにさき」といいます。このサイトを運営している者です。私の人生は、基本的に孤独を感じる日々ばかりでした。しかし、それも過去の話。聖書との出会いが私を柔和にさせてくれました。そんな私について、ここから少しお話しをさせていただきます。

    31歳でクリスチャンに転身

    人生最大のターニングポイントといえば、クリスチャンになったことです。聖書を読み始めたのが31歳で、その年に教会でバプテスマ(洗礼)を受けました。この記事を書いている今現在は、聖書を読み始めてようやく一年が経ったばかりです。そんな新米クリスチャンでもあるのが、私です。心の目が開き、喜びと忍耐をもって生きることができています。

    職業はフリーランスのライター

    クリスチャンとはいえ、職業はいたって普通です。私はごくごく普通の人です。ライターとして、「どんなことを書いているんですか?」とよく聞かれますが、毎月さまざまなものを書いているため、この質問を受けるたびに何から言おうか迷います。しいて言及するならば、「人生をよくするための情報」です。このサイトもそうです。

    当サイトの中の人の人生観

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    生まれは東京、育ちは地方

    私は母方の実家でもある、東京都で生まれました。ところが、父の仕事は全国的に転勤が多く、赤ちゃんの頃から高校生まで「東京→大阪→秋田→山形→山口」各地を転々としてきました。東京生まれ・地方育ち、とはいえ、どこかに長く滞在したことはなく、自分にとっての地元や故郷というものは、ありません。

    余所者さを感じた10代

    転校を経験していくうちに、深い人間関係をつくることがわからなくなってきました。また、地方特有の方言にあまり馴染めず、それが人との何となくな違和感・壁となり、辛い時もありました。常に、余所者であるという意識は内に秘めていた気がします。

    私は寄留者なのだと理解した20代

    私は職歴コンプレックスがあります。20代のうちに転職を5回以上繰り返し、引越しは6回経験します。仕事や心の変化、人生の挑戦として行動していたら、気がつけばこうなっていました。計画はあまり練らず、感情のままに「まずはやってみる」な生き方です。その結果、30歳を手前にした頃には「私の居場所はどこだっけ」と本気で考えるようになりました。ですから、物理的にも心理的にも、どこかに根ざすことはありませんでした。

    31歳、人生のターニングポイント

    自分の居場所を考えるようになると、人生への目的意識も変わってきます。「この虚しさから解放されたい」と願っていた折、31歳を迎えてすぐに「聖書」と出会うことができました。今思い返しても、これは本当にラッキーだとしか思えません。聖書を通して、「生まれてきた意味」「過去の自分をどう捉えるか」などがすべて解決しました。自分は不幸だと心の底では思っていたことも、すべて慰められました。

    自分の人生の舵は、神様に委ねると決めた

    聖書と出会う前の私は、いつまでも転々とし続ける寄留者でした。何かに追われ、何かを追い求めるように生きてきました。そんな生きることへの疲労感から解放されたのは、聖書ありきです。聖書はあることを教えてくれました。明日のこともわからない私たちは、不安や恐怖に思い悩む必要はないと。なぜなら、神様が道を備えてくださるから。なんて心強い言葉でしょう。

    当サイトは私が生きるために開設

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    きっかけは、勢いから作成したことが始まり

    聖書に出会ったとはいえ、私は順風満帆に信仰生活を送れたわけではありません。バプテスマ(洗礼)を受けてからの約半年間は、聖書からほとんど離れていました。元の生活に元通りで、心が枯渇していきました。ところが、2024年 5月10日に久々に聖書を開くと、またもや神様に人生を変えていただけました。心が急に変わったのです。そこから、聖書への熱が戻り、その熱量をこのサイト制作へと向けました。

    心の居場所は聖書にあると実感

    聖書ほど理にかなったものはないと、読書家の私は確信します。それもそのはず、聖書は神様の言葉だからです。「人間の心」をこれほどまで知り尽くし、慰め、希望を与えてくれる言葉は見たことがありませんでした。沈んでいた心も、聖書の言葉という源泉によって生き返っていくのを実感しました。私はもう、聖書なしに生きていくことなど出来ないと、心から思っています。

    聖書は過去をすべて益としてくれる

    冒頭でもお伝えしたように、私は寄留者のように転々としてきました。これがコンプレックスでもあり、虚しくもあり、辛い出来事でもありました。しかし、こういった辛い出来事さえも、聖書を読んでいくうちに「こういう意味があって、今の私に至るんだ!」という発見をしております。他者には理解できない自分だけの納得感が、聖書を読んでいくことで得られます。すべての出来事が繋がってくるのです。

    聖書は現在に絶対安心を与えてくれる

    聖書は単なる本ではありません。神様の言葉であり、それはすごい力があります。何が言いたいのかというと、神様に信頼して生きることは、その力の中で生きられるということ。実際、私は何度もその経験をしています。ですから、いかなる場合でも基本的には安心です。神様がすべてを益に変えてくださるから。私は信頼を崩さず、待つのみ。こんなに心強い方がいるため、今私は平和に生きていられます。

    聖書は未来に希望がもてるようになれる

    上記に続きますが、神様が共にいてくださる人生は、とても心強くて安心です。未来に不安はありません。たとえ困難が起ころうとも、神様は私を苦しめたいわけではないことも知っています。まるで、親が子どもを叱ることがあるような、愛あっての戒めです。ですから、先の見えない未来もまっすぐに歩んでいけるのです。こんなに頼もしい方は、他におりません。創造主たる神様のみが成しえることです。

    【人生の目的地】我が人生、聖書ありき

    生きがい 聖書 生きる意味

    「生きることを言語化する」

    サイトのトップページにも記載しています。私にとっての聖書は、生きることの意味や、生まれてきた理由、自分の存在意義などが明確に見えてくるものだと思っています。私がそう感じたからです。この普遍的な疑問に対して、完璧な答えを言語化できる人は果たしていらっしゃるでしょうか。人を造られた創造主である神様こそ、生きることを教えてくださる方です。

    人生の目的は、イエス様を知ること

    お金を稼いでも、欲しいものを変えても、人に認められても、チヤホヤされても、何をしても、どれも対処療法レベルだということに、20代後半になって気づきました。何が言いたいのかといいますと、一時的な幸せとしか感じないということ。心はいつまでも潤わず、どこか欠乏感がありました。そんな私はついに聖書に出会い、自分が生まれてきた意味を知りました。神様を知ることができたこと、これ以上の幸せはありません。

    私が心から救われたことを、誰かに伝えたい

    クリスチャンは伝道を重要視します。誤解のないように言いますと、神の国への勧誘です。宗教ではありません。神様の存在を知らせる活動です。私ができることといえば、職業ライターを活かした情報提供です。たとえ一人でも、聖書に手を伸ばすきっかけがあるのであれば、このサイトの存在意味にもなります。

    そんな思いを密かに抱きながら、ここらへんにしたいと思います。ここまでお読みいただき感謝いたします。私の手と心が動く限り、このブログはずっと続けていくつもりです。応援、どうかよろしくお願いいたします!そして、あなたへと神様の真理をお届けできることができれば幸いです。

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