なぜカフェは高いのか? それでも行くのが人間心理・・・


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    東京で暮らして気づいた、カフェの値段の高さ

    カフェ 高い なぜ

    東京で暮らしていると、ふと気づけばまたカフェに入っていた、ということがよくあります。予定の合間に、仕事の前後に、なんとなく一息つきたくて。理由は様々でも、「とりあえずカフェで一息」が習慣になっている人も多いのではないでしょうか。

    とはいえ、昨今の物価高で改めてお金のことを色々考えていて思ったのです。「それにしても、カフェ高すぎん!!?」と。コーヒー1杯で600円、軽食をつければ1,500円も超えることもあります。正直、ランチ並みか、それ以上の出費になることも少なくありません。本一冊買えますよね。何だこれ・・・。

    カフェが高いのは飲み物代だけじゃない

    よく言われることですが、カフェの価格には「空間代」や「体験料」が含まれています。駅近や人気エリアの立地では、家賃が高額になるのは当然ですし、おしゃれな内装や心地よいBGM、清潔な空間を維持するためにもコストがかかります。

    また、一杯ずつ丁寧に淹れるコーヒー、親切な接客、居心地のよいイスやテーブル。それらはすべて「滞在の質」を高める要素であり、私たちは単にコーヒーを飲んでいるのではなく、安心できるひとときを買っているとも言えます。

    つまり、単なる飲み物代だけではないということ。当たり前ですが、これを忘れてはなりません。わりと贅沢なのですよ、カフェに行くというのは。

    原材料費の高騰と、手間の価値

    さらに、最近では原材料費の高騰も価格に反映されています。コーヒー豆の価格は年々上がっており、特に品質の高い豆を使っているお店では仕入れ値が大きな負担になります。加えて、ドリップコーヒーやラテアートなど、技術の必要な作業をバリスタが丁寧に行う場合、その人件費も含まれて当然です。

    こだわりの一杯は本当に存在するのか

    私はどうも疑い深く物事を見る癖がありまして、ここからは独断と偏見が含まれますのでご注意くださいませ。よくあるフレーズで「うちは品質にこだわっています」という触れ込みのカフェ、実際のところ味に差があるとは感じられないこともあります。中には、正直「これは高すぎるな」「あまり美味しくないな」と感じてしまうお店も。

    マーケティング視点でいえば、単なるブランディングやポジショニングのひとつでしかないなと。そもそも「おいしいコーヒーって何だろう」と考え込んでしまう瞬間があります。

    おいしいなんて、究極はわからないよ

    実際の話、昔の私はオーガニックやフェアトレードにこだわるタイプでした。かなりヴィーガン寄りの生活をしていた時期もあります。そんな自分がある日、ふとマクドナルドのコーヒーを飲んでみたんです。一口飲んで、思わず「うわ、不味っ」と感じました。

    けれど数年が経ち、こだわりもなくなった今では、マックのコーヒーを飲んでも「まあ、普通」と思うようになってしまいました。味覚が鈍ったのか、感覚が変わったのか。どちらにしても、味の良し悪しより「気軽さ」や「すぐ手に入る」という要素の方が優先されるようになってきている自分に気づいたのでした・・・。

    コンビニコーヒーだって、今や高い

    ちなみに、最近はコンビニのコーヒーも値上がりしています。以前は100円で手に入った気がしますが、最近ではカフェラテなどを頼むと300円近くになることも。もはや「コンビニだから安い」という時代ではなくなりつつあるのかもしれません。

    「なんとなくカフェ」はコスパが悪い?

    ここで一度、冷静になって考えてみたいのが、「なんとなく入ったカフェ」のお金と時間のコストです。特に、スマホをいじるだけのために入るカフェ。これって本当に必要な時間なのでしょうか?

    もちろん、出先で時間を潰す必要があるときや、緊急で休みたいときにはカフェの存在はありがたいものです。でも、「暇だから」「なんとなく」という理由で毎回カフェに入るのは、かなりの金額と時間を消費している可能性があります。

    例えば、毎日1杯600円のカフェラテを飲めば、1ヶ月で18,000円。ちょっとした国内旅行や、趣味への投資に使える金額ですよね。結構大きいですよ。

    それでもカフェに通ってしまう理由

    ではなぜ、そんな高いと感じつつも、私たちはカフェに通ってしまうのでしょうか。それは、結局のところ「気持ちよくなりたいから」だと思います。疲れたとき、気持ちを落ち着かせたいとき、面倒なことを後回しにしたいとき。カフェはその全部を一瞬で叶えてくれる、魔法のような場所です。

    「体験を買っている」と言えば聞こえはいいですが、実際には「楽したい」「すぐ気持ちよくなりたい」という、人間の本能にすっと寄り添ってくれるからこそ、私たちはカフェに惹かれてしまうのかもしれません。

    だからこそ、カフェにはまると、ジャンキーのようになってしまうのです。コーヒーの味がどうとか、こだわりがどうとかより、そこに行けば安心できる。その快楽に、私たちは抗えないのかもしれません。

    気持ちよさと浪費は紙一重

    カフェに通うことが悪いと言いたいわけではありません。必要な時間なら、それは立派な投資です。ただ、もしそれが「思考停止の習慣」になってしまっているなら、見直してみるタイミングかもしれません。気持ちよさと浪費は、紙一重。今日もカフェの前を通りながら、自分に問いかけてみたいものです。今、自分は本当にここで過ごしたいのだろうかと。


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