【職歴コンプレックスと向き合う】「綺麗な人生」って何ですか?

    私は20代の頃、自分の職歴にコンプレックスを抱き、心を病ませていました。これまでに5回の転職を経験してきました。自分なりに考えたうえでの選択だったのですが、社会の目はそれほど寛容ではありませんでした。「根性がない」「すぐ辞める人」そんなレッテルを貼られるたびに、心のどこかで傷ついてきたのです。そんな職歴コンプレックス状態から抜け出せたのは、つい最近の話。31歳頃だと思います。どこかで私は、“綺麗な人生”でなければ評価されないと思い込んでいたのかもしれません。そしてその思い込みが、自分自身を一番縛っていたように思います。この記事では、職歴に引け目を感じている方に向けて書いています。少しでも、安心や気づきにつながれば嬉しいです。

    INDEX

    【現在】胸を張って仕事をしています。

    現在、企業で正社員としてライティングに関わるお仕事をしています。その前の仕事は、フリーランスとしてライターをしていました。つまり、フリーランスから正社員へと転職(というか転身?)したのです。この辺のお話は、下記で詳しく語っています。お金の面など、わりと赤裸々に告白しているので、きっと具体的に参考になるかと思います。

    【職歴公開】5回の転職をした私のリアルなキャリア

    1社目:新卒で百貨店のパン販売員に

    大学では栄養学を専攻していたこともあり、「食品業界に進むべき」という思い込みで選びました。それ以上の強い思い入れはないまま、なんとなく就職活動をしていました。今思っても悔しくなるのですが、私は社会人になることの意味や未来を真剣に考えておらず、いつまでも学生気分で生きていました。なんなら、当時の私は自己肯定感が極めて低く、「自分を採用してくれる会社なんて他にない」と消極的に選んでしまったのです。

    辞めた理由

    母や職場のパートさんからの「4大を出て、販売員って勿体無いね」という言葉を受けたことがきっかけでした。その時に初めて、自分の無計画さを目の当たりにしたのです。ただし、これも今だから思うのですが、大卒だから販売員は勿体無いとかって、時代錯誤もありますよね。何よりも、同じ条件の人に失礼です。諸々、当時の自分を諭したい気持ちが今でもありますが、当時の自分は周りの言葉に影響されては心がすぐに動いてしまうような人間でした。信念なんてなく、未来も考えられず、しかも世間知らず。調べようともしない、生きているけれど、魂が空っぽ状態でした。ちなみに、作業中に指を切って6針縫うケガを負ったこともあり、それとなく理由をつけて退職しました。私の人生の闇部分ですね、この時期は。

    2社目:地元に戻り、内容の薄い経理事務を経験

    東京でのパン屋の販売員という挫折を経て、地方の実家に戻りました。私が人生に行き詰まっていたことを両親は心配しており、「東京で頑張る必要はない」と思い至ったのです。物理的には両親と離れていましたが、まだまだ甘えたい気持ちがあったのか、泣きつくように東京を去って、懐かしの地元に戻りました。そして、中小企業で事務の仕事に就きました。毎日PCに向かって淡々と入力するだけ。とても穏やかで毎日が同じ、退屈そのものですが、心が病んでいた私にとっては、働きつつも良き休養になりました。

    これは補足ですが、お給料が激安でした。手取り13万円でしたね・・・。

    辞めた理由

    私の完全なる我儘です。「もう一度、東京でチャレンジしたい」という思いが強くなったからでした。地元の穏やかさに心癒されつつも、当時の私は都会への憧れがまだまだ根付いていました。というよりも、一度経験した東京での暮らしが私には合っていると、当時は本気で思っていました。お気づきの通り、感覚で物事を決めてばかりで、行き当たりばったりな行動で生きていました。刺激や人のつながりを求めて上京、というのは大義名分でしかありません。

    さき

    人間ってそんなものかもしれませんね。案外、合理的ではないのだなと、自分を通して人間心理に思い馳せます。

    3社目:東京の総合病院で総務として

    東京で働くからには、安月給では生きていけないことは承知の上。ならばこそ、安定を求めて規模の大きい企業を選択しました。結果、企業というか総合病院ですが、1000名以上が働く場所で、総務課の総務を経験しました。給与管理などを担当し、今までにはない感覚を覚えました。この時、25歳くらいだったと思います。この年にしてやっと、ドラマで見るようなきちんとしたオフィス(病院内ではあるけれど)でホワイトカラーな仕事をしている、と実感しました。家賃手当があるのも地味に感激ポイントでした。

    辞めた理由

    ところが私、ここで心を病みました。いわゆる女の職場って感じで、とにかく人間関係が命でした。どうも私は輪に入れず、しかも部署異動が早々に決まり、医療事務へ。総合病院の受付に立つ仕事です。左遷された感覚でした。私は大声を張るのが苦手だったので、強いストレスを感じました。やがて適応障害に。やむなく退職したという経緯です。ここも、私が社会人経験になってからの闇の時期です。

    4社目:憧れの出版社へ。チャンスは突然やってきた

    上記以来、私は働く気力を失いました。半年間は仕事をせず、地元に戻ったり(引越しはしていません)、短期で派遣をしてみたり、ゆるーくかろうじて生きていました。お金がないので、物を売ってひたすら生きてきました。今にして思えば辛い時期でした。お金が足りなくて貴金属を売り続ける日々だったので。

    ともあれ、次のステージは突然やってきました。いつも読んでいた雑誌に「編集者募集(経験者のみ)」の文字を発見。私はピンときたのです。もちろん編集者は未経験でしたが、なぜか応募してしまいました。結果、人事のミスで、なぜか経験者だとばかり思われてしまい面接が組まれたのですが、ミスマッチがすぐに発覚して面接が終了かと思いきや・・・なんと、「別のポジションでお願いしたい」と逆にオファーをいただき、奇跡的に出版社に入社できたのです。

    編集事務として採用されました。実際、事務的な仕事はもちろんありましたが、SNS担当やセミナー編集者のような立ち位置でもありました。本当に本当にラッキーでした。

    辞めた理由

    今でも思うんです、「ここを辞めることなく続けていたら・・・」と。編集部の仕事は大好きでした。しかし、私はセミナー事業も兼業していたため、そこでは社長と直接関わることがあり、日常的に怒鳴られ、杖を振りかざされたりと、いじめかのような経験をしました。段々とモチベーションも下がり、「別にここじゃなくても道はあるのでは?」と思い、半ば前向きに退職したのです。

    さき

    この辺りで自覚もあったのですが、「逃げ癖」が染み付いてしまった気がします。

    5社目:意図せず、フリーランスライターに

    正式には、プロモーション担当(マーケッターともいえる)として企業と業務委託契約を結んで、生計を立てていました。急展開だと思う方も多いはずです。もうワンクッションあるのでは?と思われても仕方ありません。それほど、これまでの流れとはまるで違っていますよね。

    経緯としては出版社を辞めてから3ヶ月ほどニートをした後、フリーランスのライターになりました。きっかけは「いいな」と思ったセミナー会社があり、そこに自分から連絡して、面接を経て契約できたこと。そう、契約です。その会社は9割がフリーランスで成り立っていたのです。私もその中に飛び込んだ形です。ある意味では人間関係を割り切った働き方ができたので、気楽ではありました。

    何よりも、ライターという仕事は、以前の出版社時代にメルマガ作成やセミナー企画を通じて自然と身についていましたし、元々書くことも得意で好きでしたのでマッチ感は強かったです。それに、ラグジュアリーな企業でもあったので、そういう場に同行する機会も多く、またコワーキングスペースも使えたりと、会社員時代では経験しなかったシティ・ガール的な働き方ができました。やっと、東京の人になれた感覚とも言えます。

    辞めた理由

    冒頭でも述べた通り、フリーランスから正社員へと転職(というか転身?)したからです。それだけではありません。脱スピリチュアルをしたかったから(スピリチュアル業界のライターでした)です。これは、私がクリスチャンになったからという理由もあります。

    【転職を繰り返してわかったこと】職歴がバラバラでも大丈夫

    職歴コンプレックス 20代 30代

    職歴コンプレックスを抱えていたハズでしたが・・・気がつけばどうでもよくなっている自分がいました。その証拠に、ここで語っていますから。本当に苦しい思いをしていたら、いちいち告白しません。そもそもがですね、フリーランスになってから「人生どうにでもなるんだな」と悟りました。フリーランスには経歴なんて関係ないですから。ストリートな世界なので、何でもあり。お利口さんに、学歴や職歴で評価はあまりされません。重要なのはそういった血統書的なものではなく、「あなたは何ができるんですか?」ってこと。実績がすべて。ある意味割り切れるので、人によっては生きやすい世界だと思います。

    行動と書くことが、引き寄せる

    大前提、スピリチュアル的なことを言いたいわけではありません。ただただ事実として捉えていただきたいのですが、行動あるのみ。あと、書くこと。それだけです。一体どういうことかといいますと、私は転職やら何やら、一見無駄のように行動してきたわけですが、そのこと自体が人生を変えるための行動にも繋がっていたのです。転々とすることって、日本では特に悪く思われがちですが、別の見方でいけば、転々としても生きていける人・または行動できる人とも見えます。実際そうでしたから。

    あとは、書くこと。4社目の出版社に出会う前、ニート期間中に私は急に決意したのです。元旦の日、狭いアパートの一室で、私は寂しく一人でこれからの人生を考えていました。そして決めたのです。「自分の能力を発揮する」と、色紙に書きました。筆ペンでね。当時の自分は、自分の武器がわかりませんでした。「私はこういう者です」みたいな、何者かになりたい思いが強かったのです。そうしなければ、私はまともに生き抜けないと焦りもありましたね。自分を奮い立たせる思いつきの言葉になりました。あれから5年くらい経ちましたが、書いたように成っています。

    【まとめ】職歴コンプレックスと向き合う勇気

    まとめというか、エールみたいな締めくくりにはなりますが、過去の職歴には、必ず自分なりのストーリーがあるということ。それをまずは知ることですね。職歴コンプレックスはすぐに解消されると思います。むしろ、どうでも良くなるなと。かつての私は「前は何の仕事をされていたんですか?」と聞かれるのが怖かったです。今は別に何でも言いますよ(笑)。

    ともあれ、私のように、一見するとフラフラしているどうしようもない経歴ゆえに自信をなくすケースってあると思います。しかし、それで終わらないでほしい。どんな行動にも理由があるのです。感覚派であっても、それなりの自分なりの理由が。それを一つずつ書き出していって、「だからこうしたいんだ」とゆっくりと前を向いていけば、コンプレックスなんていつの間にか消えています。理由がわからないから、恥となる。事象を深く掘り下げ、言語化することが、未来を切り開くカギになります。

    365paradise
    異邦人ブログ
    世界最高峰のベストセラー・聖書をもとに、生きることの本質を追求し、文字として言語化したブログ「異邦人ブログ」。

    【サイトの掲載許可について】どうぞ、ご自由に掲載していただいて構いません。むしろ、嬉しく思います。御言葉の素晴らしさが広まっていくことを願っております。
    • URLをコピーしました!
    INDEX