【まるでシンデレラ|クリスチャンなフランス王妃】ルイ15世と結ばれた気高い女性|マリー・レスチェンスカとは(Marie Lescinska)

    フランスのブルボン朝時代、またはイメージ的にはロココな時代といえば、マリー・アントワネットを連想する方も多いかと思います。そして、たちまち殺伐としたフランス革命へ。そんな怒涛の時代の一歩手前を生きたフランス王妃のマリー・レスチェンスカという女性について、私は時代を超えて惹かれています。彼女は熱心なクリスチャンでもあり、あの派手な時代に慎み深く知的で教養のある、本当の意味で内面も外見も美しい女性であったことを私は発信したく、記事にさせていただきました(ファンになっちゃった)。

    さき

    『マリー・レスチェンスカ』(Marie Lescinska)と表記しましたが、別のところでは、『マリー・レクザンスカ』や『マリー・レシンスカ』とも読まれているみたいです。英語に対して、日本語ではこういうどっちつかずさがありますよね。ここでは、出来るだけ英語本来の発音から汲み取った『レスチェンスカ』で統一させていただきます。

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    【あまり知られていない!?】マリー・レスチェンスカ(Marie Lescinska)を偶然知った小話

    マリー・レクザンスカ
    私の所有するアンティークコインです(1726|結婚翌年の通貨)

    このブログ執筆者の私の個人的な話になりますが、趣味の一つでもあるアンティークコイン収集がきっかけでマリー・レスチェンスカと出会いました。一言で言うならば、一目惚れでした。経緯としては、「何かいいコインはないかな〜」と脳死でオークションを見ていたんです。すると、このコインが目に留まりました。その瞬間にビビッときましたね。

    マリーには一目惚れでした!

    その時は、マリー・レスチェンスカという人物は聞いたこともない、知らない女性でした。ですが、コインから見たこの肖像画(上記画像にて)はとても美しく、凛とした気品があり、他のどんな女性よりも光っている不思議な魅力を一瞬で感じました。心が強くときめきました。一気に湧き上がった強い熱情をもって、誰なのか詳細はわからずとも手に入れたこのコイン。それが初めの出会いだったのです。

    さて、そんなマリー・レスチェンスカの歴史を見ていきましょう!(すごい人生に思いを馳せる・・・)

    【波瀾万丈の10代】幼少期と家族背景(1703–1714)

    マリーは1703年6月23日、ポーランドのトルンで誕生しました。父はスタニスワフ・レシチニスキ(Stanisław Leszczyński)(後のポーランド王スタニスラス1世)、母はカタジナ・オパリンスカ。

    父スタニスワフはスウェーデンの支援により一時ポーランド王位に就くも、後に追放され、亡命生活を送ることに。王族とはいえ、マリーは亡命生活を送ることに。家族はフランスやドイツの宮廷を転々とする不安定な生活を余儀なくされたのです。命の危険すらあった、生活が一変した大変な時代を過ごされました。

    母と共にドイツやフランス各地を転々としながらも、王族・貴族としての誇りを忘れず、宗教・音楽・文学に親しみ、内面を深めていきました。母親の影響もあり、マリーは信仰と教養に満ちた心優しい少女に成長していきます。若くして貧困に耐える生活を経験しながらも、慎ましく育てられたマリーは、周囲から「誠実で優雅」と称される女性となるのです。この性質こそ、今後のマリーの人生を左右する鍵となることに。

    【まるでシンデレラ】フランス王妃への道(1715–1725)

    ここからは、一言でいえばシンデレラ・ストーリーかのような驚きの展開になります。その当時、ルイ14世死去後、フランスでは若きルイ15世の結婚相手を探している最中でした。そして、ルイ15世の妃候補としてヨーロッパ中の王女たちがリストアップされる中、最終的に選ばれたのは、まさかの“無位の元王女”マリー。複雑な政治事情とヨーロッパのバランスの中で、「政治的に中立な血筋」として選ばれたのです。医師たちが健康と性格を重視し、宗教心と穏やかさを持つマリーが抜擢されたのもありますが、もちろん、それだけではありません。彼女の性格・性質あってこそ。

    そして、1725年9月、22歳のマリーは15歳のルイ15世と結婚したのでした(7歳差の結婚、しかも女性が年上という!)。マリー自身は、「これは神がくださった道」と語ったのだとか。かつては逃亡の一家でしたが、なんと、フランス王妃になることに。これには格差婚だとか、王妃としては身分が低いなどの陰口を叩かれていたものの、マリーの慎ましい性格と敬虔さでたちまち周囲の信頼を得ていきました。

    【クリスチャンの鏡】王妃としての生活

    結婚当初、ルイ15世はマリーを深く愛し、結果的に18年間で10人の子どもに恵まれるほどの親密な家庭生活を築いてきました。結婚から翌年には双子を出産します。夫のルイ15世はマリーの手を握りながら出産に立ち会ったとか。それくらい、彼女を心配して寄り添っていたなんて逸話も残っているのです。ちなみに、そのルイ15世が「最愛王」と呼ばれたのは、マリーとの安定した結婚生活に由来するともいわれています。

    10人の子供の中でも、有名なのはルイ16世の父であるルイ・フェルディナン王太子。マリーはとても家庭的な女性で、子供たちに深い愛情を注ぎました。特に娘たち(マドモワゼルたち)とは仲が良く、マリーにとっても造詣の深い音楽や宗教教育を共にしたのです。宮廷の華やかさからは距離を置き、誠実・敬虔・慎ましさを信条としたマリーは、信仰に基づく静かな生き方を貫きました。

    【夫婦を貫く】宮廷内での立ち位置

    当時では、愛人を持つことはまるで文化かのように当たり前だったようです。余談ですが、かの有名なフランス王妃マリー・アントワネット(マリー・レスチェンスカの次の代の王妃)は、夫のルイ16世がいるのにも関わらず、フェルゼンという愛人がいましたね。愛のストーリーのようにも語られていますが、不倫です。けれども、こういった文化は珍しいことではなかったのです。そんな乱れた派手な文化の中、マリーは愛人を持つこともなく、夫のルイ15世だけを愛した・・・と言われています。

    さき

    これは私の考察ですが、夫婦という関係だけは守り抜いた、という表現の方が正しいかもしれません。もちろん、愛はあったと思います。ただし、それは恋やときめきとは違うのでしょう。マリーは熱心なカトリック信者でもあったので(クリスチャン)、神の結びつけた夫婦関係を大切にしたかったのだと思います。

    王妃としての影の薄さがあったが・・・

    ところが悲しいかな、最愛王なんて言われていたルイ15世は文化のように愛人をもち始めます。有名な人物でいえば、ポンパドゥール夫人、デュ・バリー夫人など。マリー以外の他の女性に傾倒し、そしてマリー自身は政治や宮廷の中心から遠ざかっていきました。

    さき

    これまた私の考察ですが、マリーは夫の愛を失った・・・とかではないと思います。というよりも、夫の淫らな生活をも受け止めたのでしょう。これは信仰の力なくして、まともに受け止めきれません。しかし、万事は益となるとでもいいましょうか、思わぬ恩恵がマリーに授けられたと個人的には思っています。王妃になって早々に出産ペースが驚異的でしたよね。マリー自身も疲れ切っていたのかもしれません。夫との距離は、ある意味ではやっと時間ができたとも捉えられるのかも・・・?事実、晩年は王妃としては珍しく、自分の時間を楽しんでおられます。

    マリーは宮廷内での影響力は弱く、影の薄い王妃だったものの、カトリック信仰に基づく慈善活動を重ね、多くの孤児院や病院に寄付していたといいます。「王妃である前に、神の僕である」という自覚を生涯失わなかったと言われています。なんという、どこまでもクリスチャンであったのです。また、芸術をこよなく愛しており、文化支援も積極的だったとか。自身も絵を描き、音楽も愛していたといいます。作曲家フランソワ・クープランらの支援者でもありました。

    【クリスチャンとして】最期まで神に仕えた人生(-1768)

    晩年は公の場を退き、祈りと奉仕の日々を静かに送ったといわれています。影が薄いといわれようと、なんだろうと、王妃としての一番の務めは全うしましたし、むしろ、孤児院や病院への支援、芸術家への庇護など、なかなか表に出ないような細かいところで愛の行いを積み重ねていきました。

    1768年6月24日、65歳で静かに帰天。晩年は、夫のルイ15世が一日に4回もマリーのところに訪れては看病をしていたなんて逸話も残っています。それを聞くと、愛人をつくっていたルイ15世とはいえ、彼なりマリーをずっと愛し続けていたのでしょうね。マリー・レスチェンスカという気高く美しい女性は、最期まで夫から、また周囲の人たちから愛され、生涯にわたり怒涛の人生を走り抜き、天に召されたのでした。

    さき

    不思議なことに、マリーの誕生日とほぼ同じくして眠られました。マリーのシンデレラかのような人生に神秘的な何かを感じてなりません・・・!

    再評価される“シンデレラ王妃”マリー・レスチェンスカ

    マリー・レクザンスカ

    愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。

    新約聖書 コリント人への手紙一 13:4〜8

    マリー・レスチェンスカは、フランスの栄枯盛衰を経験することなく、平穏な時代を生きたともいえます。いえ、晩年こそ不穏な空気は漂っていたでしょうけれど。フランス革命は、のちの世代でもあるルイ16世とマリー・アントワネットが経験していくことになります。

    慎み深いクリスチャンであり、美しきフランス王妃

    派手な王妃が多い中で、「地味で影が薄い」と評されたマリーでしたが(私は「慎み深い」という言葉で表現したいです)、夫から深く愛された女性としてもっと注目されてもいいんじゃないかと個人的には思っています。宮廷で華々しくなくとも、「家庭と信仰」という揺るがぬ軸をもって生き抜いたその姿は、現代にも通じる普遍的な強さを感じてなりません。現代の私たちにとっても、彼女の人生は「どんなに逆境でも、神様を見つめていくことで道を拓く」ということを、信仰の鏡のように教えてくれている気がします。

    さき

    クリスチャンの私にとって、マリー・レスチェンスカさんとコインを通して出会えたことは、とてつもなく大きな喜びです。素晴らしい出会いです。励ましにもなります。いつか来る天国で、彼女ともお話してみたいなぁ・・・なんてね。楽しみです。

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    マリー・レクザンスカ

    マリー・レスチェンスカの生涯がわかる!

    フランス王妃たちの生涯がわかる!

    フランス王妃列伝

    \ 王妃の苦悩と喜びが記されている /

    日常使う言葉で書かれている訳なので、非常に読みやすいです。
    軽くて読みやすく革もイイ!
    軽いので、外出時のお供にぴったり!
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