スピリチュアル系や、マインドセットやビジネス系では、もはや聞いたことがない人はいないも同然の『引き寄せの法則』という不思議なやり方。これは願ったものや人、出来事が引き寄せられるという魔法のようなメソッドなのですが、実はリスクがあまりに大きく、まるで穴のあいたバケツに水を注ぐ行為なのです。多くの人は気づいておらず、目先のことで「ラッキー」と思っているばかりです。私もかつてはそうでした。体験談も交えて、真実をお伝えします。
人間には欲望がある

そもそも、『引き寄せの法則』を実践する人は欲望があります。それも、現時点では手に入らない・手にいれる方法がわからないような大きな欲望です。小さくはないということです。もし、「チョコレートが食べたい」と思ったら、すぐに買いにいって自分の欲求を満たせるでしょう。そういう程度のものではなく、「背が175cmあって、鼻筋がスッとしていて、すごく私に優しくて、私だけを愛してくれて、年収1500万円以上の男性と結婚したい」みたいな、現実的には非常に厳しいような内容の欲求です。こういった類のものを願う時、知っている人は『引き寄せの法則』を使うのです。
思考で引き寄せる!?

「でも、引き寄せるって、一体どうやって?」そう思う人もいるでしょう。『引き寄せの法則』といえど、本やメディアなどでそれぞれのメソッドがあるようです。ただ、大まかなものは変わりません。それは、自分の願い(欲求、欲望)を書き出し(または声に出し)、宇宙に放つだけ。この時、現在完了形にするだとか、ありがとうございますと言うだとか、ワクワクした気持ちでこれをやるだとか、瞑想後にこれをやるだとか、とにかくいろいろな方法が人の数だけあるようです。まぁ、言っても、これだけなんですよね。
「何者かになりたい」という変身願望

ここで、私の体験談をさせてください。私は24歳頃に、『引き寄せの法則』に強く強く惹かれました。多感な時期なこともあってか、欲望が絶えませんでした。「あのブランドのあれが欲しい」「ああいう彼氏が欲しい」「こういう可愛い人になりたい」と、外部の刺激に当てられては、心のアンテナがあっちこっちへと飛んでいました。これらの欲望には共通点があって、見栄があるんですよね。
とにかく自分、自分、自分、自分を欲するがままに成る現実を求めていました。そうなってほしいと本気で思っていました。ある意味では現実逃避で、「嫌なことからは逃げていい」「ワクワクこそがエネルギー」「世の中はスピリチュアルでできている」とおめでたい思考でいました。これ、文章にするとアホの子のようですが、『引き寄せの法則』ではわりと通常運転です。
そしてここからですが、私は欲望のままに願ったことは、時々叶いました。確かに引き寄せたのです。しかし、それは必ずしも私の幸せには繋がらなかったのでした。
なぜ、引き寄せられるの?
そもそも、なぜ引き寄せができると思いますか?本当に、魔法のようですよね。スピリチュアル系では「波動やエネルギーが同調しているからです」という説明があります。もう少しマインドセットになっていくと、「脳のミラーニューロンで引き寄せあっています」みたいなことを言います。正直、これらのことはどうでもいいのです。これらは、もしかするとまだ一般化されていない科学的な要素もあるかもしれませんね。
ただし、問題はそこではありません。霊的な、目には見えていない領域で契約が起きているのです。これは科学ではありません。
真実をいいます
「霊的な領域?」「そっちの方が怪しいよ」と思われた方もいるでしょう。本当のスピリチュアルや科学であり、もっといえば真理です。なぜ私がこれを言えるのかというと、聖書を読み、神様と出会い、この世が一体どんな仕組みでできているのかを知ったからです。正直、この言葉こそが一番怪しく聞こえるかもしれませんね。
私の言う神様とは、この世界すべての創造主であるイエス様のことを指します。この方は、かつて約2000年前に、人間として生まれた神様であり、各時代の人間すべてを罪から救うために来られました。人の罪を支払う代償は、死でした。ですので、死ぬために人間としてへりくだってお生まれになったのです。
この世界は罪で満ちています。最初の人間・アダムとエバから始まり、すべての人に罪という霊的な咎が例外なく与えられています。だから、この世は虚しく、辛く、悲しいのです。喜びももちろんありますが、この世はあまりにも罪でまみれ、私たちは幾度となく涙をこぼしてきたでしょう。それが、罪です。罪のない人はいません。
しかし、この罪を自覚させたくない存在がいます。悪魔だとかサタンだとか言われる、神様に反逆した存在です。アダムとエバの罪も、このサタンがきっかけでした。多くの人はイエス様とはどういう方なのか知りません。知られたら、この世のまやかしがバレてしまいますから。
ご利益宗教、偶像礼拝に陥る罪
それで、何が言いたいかといいますと・・・この世はまやかしということ。目の前の物質が、まるで霧のように掴めないものだとか、そういうファンタジーを言っているのではありません。あなたの欲望がまやかしだということ。好きという気持ちは個性でもありますが、すべてがすべて、自分の個性とは限りません。世間の風潮から感じて出た欲望かもしれませんし、それこそ洗脳といっても良いでしょう。人よりよくありたいという見栄や高ぶりのための欲望かもしれません。もしくは、先の見えない未来に対する不安ゆえに、安心を求めた過度な欲望かもしれません。
霊的な契約が起きている

これは、バシャールという宇宙人(聖書的にいえば、悪魔的な存在、偽りの神)にチャネリングした(=霊媒)ダリル・アンカ氏の言葉です。とあるインタビュー映像なのですが、どんな質問であるにせよ「どうしたら引き寄せられますか?」といった類いの回答は、これに限ります。実際はもっとくどくどと説明していますが、一言でいえば、自分を売るということ。
「いや、売ってませんけど」そう思うかもしれません。私も昔、『引き寄せの法則』を駆使していた時はわかりませんでした。ただ、願い事を書き出せば、あとは勝手に宇宙だとか大いなる存在(サムシンググレート的な)が叶えてくれると思っていました。
霊的な領域では、神様ではない存在により縋ったということになります。それがサタンだとか自覚していません。ただ、何か大いなる存在を。聖書では、神様という唯一のお方以外に、人智を超えたこと(冒頭で話した欲望ですね)が成就するように願うのは、偶像礼拝であることが書かれています。
これ、意味はわかりますか?神様ではない存在に願った時、それはサタンに願ったも同然なのです。そして、契約を結んでしまうこともあるのです。契約という言葉が正しいのかはわかりませんが、サタンが応じて、その自分の願ったことが叶うことだってあるのです。しかし、サタンは慈善事業をしているわけではありません。この存在の目的は、人の死です。それは肉体的な意味でも、魂の意味でも。行き着く先は苦しみです。
わたしは主である。 わたしのほかに神はない、ひとりもない。 あなたがわたしを知らなくても、 わたしはあなたを強くする。
旧約聖書 イザヤ書 45:5
イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
新約聖書 マタイによる福音書 4:7-10
自分の望みが最善だとは限らない
願ったことが叶っても、結果が悲しいこともあります。私の体験談で言うと、ものすごく欲していたヴィンテージのアクセサリーがありました。やっと手に入れましたが、手に入れても満足感が得られませんでした。それどころか、あんなに欲していたのに「なんか違うなぁ」という不一致感がありました。この欲望は、本当の自分の個性とは違ったものだったのでしょう。執着的な時間や費やしたお金は、泡銭となりました。むなしかったですね・・・。
自分では計画を立てるかのように、欲しいものを手にいれることを目標としていても、それが最善だとは限りません。むしろ、その逆の方が多いのかも。私はこのような虚しさを体験するたびに、心が傷ついていくのを感じました。失ったものの方が多い気もします。そして、自分の欲望がなんだか煩わしくなりました。「苦しいなぁ」って。嬉しい気持ちを夢見て欲望に手を伸ばしたのに、苦しむばかりでした。
罪から出たものに、喜びはない

それもそのはずなのです。聖書を読んでいくと、ハッとさせられます。私たち人間は罪に陥ってしまい、人は霊的にも弱くなりました。神様に似せてつくられた人間ですが、その心身はサタンに受け渡している状態であり、奴隷もいいところです。しかし、イエス様は罪の対価を十字架の死にて、神の御子の血によって贖いました。解放してくださったのです。すでに終えていることで、受け入れるかどうかは霊的な領域であり、個人の自由意志です。契約です。無条件でいつの間にか罪が消えていた、という話ではありません。
ともかく、私たち人間では、いえ、この地上どれをかき集めても償いきれない大きな値をイエス様は支払ってくださいました。これは霊的な領域での話なので、2000年前のイエス様の十字架の契約が、今この2026年でも生きているのです。そして今も神様は生きておられます。主イエス様です。
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
新約聖書 ローマ人への手紙 5:12,21
神様がすべてを満たしてくださる
とはいえ、欲望は個性でもあると私は思っています。好きという気持ちは自由意志です。サタンや外部から与えられた・洗脳された偽りの欲望なのか、純粋な自分の心から出た好きなのかは、よくよく見極めるしかありません。そんなこんなで、私は聖書を読み始めてからは『引き寄せの法則』に虚しさを感じるようになりました。くだらないなと。けれども、危険だなと。目には見えないところで契約が起きています。自分を売ってしまっています。
でも、イエス様に祈り、願った時、助けてくださいます。何もないかもしれません。いえ、何もない方がいいのです。ご利益宗教ではありませんから。ただし、他では到底得られない平安が私たちに与えられます。
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:27
我が神、我が主、イエス様に感謝いたします。




