「何者かになりたい病」って、わりと的を得ている言葉だなと思う。私がかつてそうだったから。20代後半の時はピークで、この言葉がまるで呪いのように(でも無自覚)、むしろ自分の目標でもあるかのように標語化していた。常に何かを追い求める人生。しかし、それが何なのかわからずにずっと疾走する自分。そして、疲れていく・・・。そんな何者かになりたいを胸に秘めている人に贈りたいお話があります。
「何者かになりたい」と思うのは当然のこと

「何者かになりたい」と思うのは、若者であればある意味当然のことだと思います。こういう人の特徴として、やる気やマインドなど精神的には高まっているけれど、目的や具体的なビジョンがないタイプだと思います。意識が高い割に、人生の道がわからなくなっているのです。なぜそう言えるのかと言えば、私自身がそうだったからなんですよね。
特に20代後半の頃、私は強くそう思っていました。「私はこういうことを専門にしています」という肩書きや、何かしらのスペシャリスト感が欲しかったのです。早く一人前になりたかったといえば、綺麗な言葉には聞こえますが、そんな感じですね。しかし、では「何の専門になりたいの?」と問われると、何もわかりませんでした。好きなものは色々あっても、そこに情熱もなく、自分を顧みると「空っぽ」だと気づいたのです。
ビジョンが無いまま生きると
そんな私は、自分の将来にビジョンを描くことなく生きていました。つまり、「何者かになりたい」の「何者」かを追求せずになんとなく生きていたわけです。とはいえ、仕事はもちろんしていました。特別に熱意をもってやりたいことが仕事ではなく(そもそもそんなものはないと思っていた)、ただ目の前の仕事に集中していました。それが当時の仕事である「コピーライター」です。
私はもともと書くことが好きだったのもありますが、それだけではこの職種には就けません。経歴から自然とそういう流れになったと説明した方が自分の中ではしっくりきます。好きか嫌いかで言えば好きです。しかし、そこに情熱はありませんでした。あくまで雇われ仕事であり、自分の心が乗るわけではなかったのです。
うつ病になって気づいたこと
そんなある時、私は病んでしまいました。うつ病でした。この時は、我ながら心が弱いと思うこともありました。情けないとすら思ったものです。けれどもよくよく調べると、うつ病とは心が弱いからなるのではなく、誰もが条件次第でなり得るらしいです。
仕事(または職場)と自分が「合致していない」ということは、自分にとっては何かしらが不自然な状態であるということ。それが苦痛となり、精神的に参ったと解釈できます。それにしても今回の出来事は私にとって衝撃的でした。まさか、今までやってきた仕事でもあったので、なんなら得意だと思っていたので、うつ病になるなんて驚きでした。もちろん要因は業務そのものだけではないのかもしれませんが。
「何者かになりたい」はビジョンではない
「何者かになりたい」の根底には、自分だけの役割が欲しいのもあるかもしれません。承認欲求とも少し違うと思います。他でもない、自分自身が自分を知りたいのです。
そんなかつての私の「何者かになりたい」という思いですが、今現在は持っておりません。こういう疑問はごく自然にどんな人にも出てきてもおかしくないのです。しかし、それはビジョンではないと悟ったからです。肩書きや職業名を自分に当てはめてはダメだと思ったのです。そもそも、ビジョンという概念すらもわかっていませんでしたから。
ビジョンを描くための二つの軸
ビジョンとは何か、と説明すれば、自分の道とでもいいましょうか。ここは現段階で深く理解しなくていいと思います。そういうものではないからです。それよりも、この自分だけのビジョンが立てられるのか。こちらの方が大事です。それには二つの軸があると思います。
- マスタリー(Mastery)
- アイデンティティ(Identity)
いきなり言われてもわからないと思います。当たり前です。順々に説明していきますね。これはあくまで筆者である私がすすめるものですが、ぜひ参考程度に熟読していただきたいです。「何者かになりたい(もはや、ならねばならない)」について長く瞑想してきた私の結論でもあるので、ある意味有料級だと思っています。ではいきます。
①マスタリー――初心者から専門家へ
「何者かになりたい」という人は、総じて初心者です。年齢的には若い人に多いと思いますが、一概には言えません。ともかく、自分には専門的な能力がなく、特徴もない。だから「何もできない」「力がない」と思っている人たちです。専門的な何かが特にない、特徴や個性のわからない状態です。この真偽はともかく、自分がそう思っているのであれば、そういうことです。
ここで紹介したいのが『マスタリー』という本です。絶版なので、Amazonで頑張って購入してほしい本です。プレミア価格がついていますが、買ったらまた売ればいいだけです。お値段以上のことがあるので、自分を本気でどうにかしたい人であれば買わない手はありません。
ここでほんの少しだけ抜粋して紹介します。この本は一冊まるごと、何度でも読み返した方が良い内容です。そういえば、脱・税理士のスガワラくん(菅原由一さん)もおすすめしていた一冊です。
ある時点で私たちは初心者から専門家に変わる。自分のアイデアを試し、貴重なフィードバックを手にする。どんどん増えていく知識を独創的に応用する。他人のやり方を真似るだけではなく、自分の流儀と個性を織り込む。このプロセスに忠実に従って、ある程度の年月を過ごすと、次の飛躍が訪れる――マスタリーへ。もはや鍵盤は私たちの外側にあるものではない。それは自分の内側に入り込み、神経組織の一部となり、指となっている。だから直感的に理解できるようになる。
『マスタリー 仕事と人生を成功に導く不思議な力』より

\ 何者かになりたいを考えている人へ /
②アイデンティティ――聖書から取り戻す
もう一つは「アイデンティティ」です。クリスチャンでもある私は、「聖書」を紹介したいと思います。聖書は歴史書でもあり、哲学的であり、自己啓発的でもあります。しかし私はこう思います。「人生がわからなくなったときに、道を知るための本」だと。すると、自分さえも不思議と見えてくるのです。ただの本ではないのは確かです。
なぜ自分はこんな人間なのだろうと卑下してしまうこと、ありませんか?満たされない虚栄心を抱えてしまうこと。生きることに疲れてしまうこと。未来が見えないこと、ありませんか?そんな人にとって、聖書はどんな人や物よりも強力な助けになる本です。
なぜなら、聖書を通して助け主である神様イエス・キリストと出会えます。比喩ではなく本当です。そして、自分の悩んでいるすべてに答えてもらえます。何度でも求め、教えていただけます。そうして、自分が何者であるのかを思い出す――いえ、やっと理解するのです。
主の言葉がわたしに臨んで言う、「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
旧約聖書 エレミヤ書 1:4-5
うつ病という休止期間での学び
さて、私の話に戻ります。直近、私はうつ病で休職をしていました。およそ2ヶ月、暇な時間ができたのです。とはいえ、気持ちそのものは落ち込んでいたので、休みは本当に文字通りの休養でした。心身がぐったりしていました。生きるのも疲れていました。
でも今思えば、とにかくそれが良かったのです。やっと自分と向き合えました。もしうつ病ですべてにストップがかからなければ、私はどこまでも突き進んでいたでしょう。いつ壊れてもおかしくありませんでした。そんな状態で、まるで取り憑かれたかのようにマインドだけは一人前で、しかしビジョンがないまま、宛てもロクにわからずに走っていました。結果、的外れの道を歩んで自分を苦しめていたのだとわかりました。
ならば、的外れの道から脱却して、ビジョンを定め、新しい道を歩む方が良い。そこまで理解できました。そして今、私はこうして記事を書けるまでに成長できたのです。ビジョンを見つけられたのです。それゆえ、今とこれからの人生が密かに楽しみでいっぱいです。
アイデンティティを奪うサタン
急にサタンとか言い出して、何事かと思う方もいるかもしれません。ただ、大事な話なので直球にお話をさせてください。あなたがもし自分自身に対する不安や、「何者かになろう」とするプライド、自己喪失といったアイデンティティの崩壊があれば、実はとても危険な状態です。むしろ、ほぼ全人類が精神的に参っているはずです。なぜなら、サタン(悪魔)がそれを人から奪ったからです。
サタンはかつてアダムとエバに対しても同じことを行いました。禁断の果実を食べさせ、神様と切り離し、アイデンティティを失わせたのです。これこそが悪魔サタンの狙いであり、今日の人類が苦しんでいる理由でもあります。みんながどんどん病んでいきます。しかし、正解がわからず・・・迷宮入りの苦しみの道を歩んでいるのです。
命の道に入ろうではないか
しかし神様は、聖書を通して人を励まし、命の道へ導いています。クリスチャンになった私としては、この奥義を自分の中だけで秘めていてはならぬと思い、こうしてブログを書いたりしています。ともかく神様は、意味があって私たち人間をそれは精巧に造られました。そこにこそ、アイデンティティがあるのです。神様を知らなければ、神の愛を知らなければ、子としての自分を理解できず、生まれてきた意味すらも見失う人が大半です。
でも大丈夫。私たちの人生は主イエス様を通して、アイデンティティを取り戻すことができます。だから今、自分が何者かわからなくなっている人は、まず目の前のことから離れて聖書を訪ねてみてください。ついでに『マスタリー』という本も読んでみると、なお良いでしょう。
承知しました!✨
最後に「まとめ」を追加して、記事としてより締まりのある形に仕上げました。原文をできるだけ忠実に保ちつつ、自然な結論をつけています。
まとめ
「何者かになりたい」と願う気持ちは、決して悪いことではありません。むしろ人間として自然なことです。しかし、それを肩書きや職業名で埋めようとすると、ビジョンのないまま走り続けてしまい、苦しみを生みます。
大切なのは、
- 「マスタリー」――時間をかけて初心者から専門家へと成長する道を歩むこと。
- 「アイデンティティ」――聖書を通して本当の自分を思い出し、神様が与えてくださった意味を理解すること。
この二つの軸を持つことで、初めて「ビジョン」を描くことができるのだと思います。というか、私がそれで自分の大切なものを取り戻せたからです。
かつてうつ病という休止期間を経て、自分と向き合い、ようやくそのことに気づきました。だから今、同じように「何者かになりたい」と悩んでいる人に伝えたいのです。焦らず、肩書きや見せかけの一人前を追いかけるのではなく、まずは自分の内側に立ち返ってください。そして、自分にとって本当に意味のあるビジョンを見つけること。それこそが、「何者かになる」前に必要な一歩だと思います。

