【自分は強いのか?】虚しさを悟る

    ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

    旧約聖書 創世記 32:25-26

    ヤコブは元々

    自分の思いで行動する傾向があり、

    ヤコブの大きな問題は

    「出来てしまう」

    という所にありました。

    私たちは「出来ない」事で

    悩む事が多いので、

    神様に助けを求め

    祈らざるを得なくなります。

    その時、神様は助けて下さるので

    私たちは弱い時こそ強くなれるのです。

    自分に能力があると

    返って神様が働かれる機会を

    失ってしまう事があります。

    ヤコブは

    神様が祝福を与えて下さるのに、

    ずっと自分の手を出し続けたのです。

    そこで神様は

    ヤコブの腿の関節を外され、

    自分ではどうする事も出来ない状況に

    ヤコブを置かれ、

    神様に委ねるように導かれたのです。

    つまり

    ヤコブの自我を砕かれたのです。

    私たちも自我が強く

    神様に中々屈しない事がありますが、

    同様に神様は私たちの自我を砕き

    神様に頼らざるを得ない状況に

    置かれる事があります。

    私たちも

    ペヌエルの経験が必要です。

    自分の誇り、力、強みが打ち砕かれ、

    神様にすがる経験が必要なのです。

    私たちが

    神様に委ねる事の出来ないのは

    弱さではなく、むしろ強さの故です。

    この強さが砕かれなければ

    神様に全て委ねて

    歩む信仰の歩みは始まりません。

    この時ヤコブは人間の力に頼る事の

    不安定さと虚しさとを教えられ、

    唯一の援助は神から来る事を悟ったのです。

    ヤコブは足に障害を持ちましたが、

    霊的には神様にある真の自由を得、

    彼の歩みは希望に満ちたものになりました。

    私たちも

    神様との忍耐強い祈りの格闘を通して、

    自我が砕かれ神様に拠り頼む者と

    ならせていただきたいと思います。

    聖書が初めての方は、新約聖書から読んでみてくださいね〜
    軽くて読みやすく革もイイ!
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