【生きがい】生きることを言語化する

    「生きがい」とは、人生に価値を見出し、充実感や喜びを感じること。日本文化には生きがいを見つけるヒントが多く含まれています。心の渇きを癒し、自分の能力を発揮することが、生きがいに繋がります。聖書はその一助となります。それどころか、私の生きがいは聖書を通して知り得ました。

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    「生きがい」とは何か

    生きがい 聖書 生きる意味

    大前提、決まった定義は存在しません。とはいえ、さまざまな情報を集めた私がいえるのは、主に2つの要素です。①人生に価値を見出したとき、②充実感や喜びといった明るい気持ちを感じられた状態、です。

    生きがいは、日本語特有(英単語として存在しない)

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    今、日本人の多くが「生きること」について不安や迷い、疲れや絶望を抱いています。それだけ世の中が暗いのです。私は日本の中心地・東京に住んでいるのですが、どこに行っても幸せそうな人はなかなか見かけられません。

    実は、昔から日本文化では「生きがい」という概念が重要視されてきました。武士道、茶道華道、書道など、日本の伝統的な文化には、生きがいを見つけるためのヒントが数多く含まれています。これは日本人の精神性に刻まれているのかもしれませんね。

    なぜ「生きがい」が重要なのか

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    「生きがいって、必要ですか?」そんな声が聞こえてきそうです。実際、私の身近なところでもありました。母親は、この言葉にピンと来ていませんでした。「真面目だね」なんて言われましたね。確かに、人それぞれですよね。

    生きがいがなくても生きていけます。それでも重要な意味は、一体何なのでしょうか。なぜ私はそれを追い求めていたのでしょうか。ふと、フラットな目線で考えるきっかけにもなりました。

    より良い人生を生きたいから

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    私は20代のほぼすべてを「自分探しの旅」に費やしています。そのために行ったことは、私生活では転職5回以上、引越し6回、自然を巡る旅行、フリーランスに挑戦、毎日本を読み続けることなど。

    人と関わることを極力避け、自分の内側を探ろうと躍起でした。まるで、何かを探しているようでした。最終的な目的だけは、漠然とわかっていました。「幸せに生きる方法を知りたい」と。

    心の健康と生きがい

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    自分探し、自己内観、自分磨き、自己探求、自己分析、自己理解、いずれも「自分、自分、自分」です。自分を理解しようとすればするほど、また、知識を入れようとすればするほど、生きがいというものがわからなくなってきました。

    同時に、心の健康さが低くなっていくのを感じました。あくまでも私の経験です。「生きづらい」と思っていた矢先、私はある一冊の本に出会いました。これが私の生きる意味を変えます。聖書でした。

    生きがいを求める心理に気が付く

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    聖書に出会い、私は自分の状態をはじめて理解しました。心が渇ききっていたのです。20代のほぼすべて、私は生きることに楽しさを感じていませんでした。幸せよりも、嫌なことにフォーカスし、イライラしたり、悲しくなったり、無気力になるなど、こういった症状は当たり前になっていました。実は、これらの原因はすべて心の渇きだったのです。

    祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。

    新約聖書 ヨハネによる福音書 7:37

    生きるために必要なもの

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    私はこれまでに、数えきれないほどの自分探しをしてきました。ジャンルで言うならば、潜在意識、脳科学、心理学、行動心理学、森田療法、コーチング、ヒーリング、アファメーションなど。けれど、結局はどこも堂々巡りで、いつまでも心が乾いていました。それも、聖書を読んでからは一変です。生きる力とは、言葉なのだと理解しました。それも、神様の御言葉です。

    というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。

    新約聖書 ヘブライ人への手紙 4:12

    生きがいに対する価値観

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    私は冒頭で、生きがいの定義を2つにまとめました。①人生に価値を見出したとき、②充実感や喜びといった明るい気持ちを感じられた状態、です。言葉にすると、大したことがないようにも見えます。悪く言えば、ぼんやりしていますね。それもそのはずで、人それぞれの価値観で肉付けされていくからです。

    しかし、人生を彷徨っている当時の私には、肉付けできる要素などないと思っていました。価値観がないのだと。「何者にもなれない私」というレッテルを、自分で決めつけていました。それほどまで、自分に対する自信もなければ、生きるための力強さもありませんでした。不安が常に付き纏っていました。

    自分の強みとスキルを理解する

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    実践的なことをお話ししますと、自分の強みやスキルといった、自分の能力を知ることです。そして、それを「神様からの賜物」だと理解することです。こんなこと、普通の自己啓発本やセミナーでは絶対に言われませんからね。聖書を読んでいる私だから言えます。そして、それが生きがいになります。さりげなく言いました。これが真実だと現時点の私は思っています。

    自分の賜物を活かすことを考える

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    「自分の能力を発揮する」と決めることです。これは、私の人生が動き出した年初めの抱負でもあります。今思い返しても、なかなかに鋭いなぁと自画自賛しそうです。なんちゃって。ともかく、自分の能力は、神様から与えられたものです。その与えられた賜物を活かすことが、あなたの生きがいになります。ということです。

    あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

    新約聖書 ペトロの手紙 一 4:10

    わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

    新約聖書 ローマの信徒への手紙 12:6-8

    社会的貢献と生きがいの関連

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    聖書を通して、私はある重要なことに気づきます。それは、社会的な繋がりの重要性です。もう少し解像度を高めるならば、人との関わりです。思い返せば、私は人を避けて生きてきました。人と関わるよりも、自分の内側を探求する方が好きであり、ラクだったのです。人間関係には疲れていました。かなりの偏見と、自信のなさがありました。

    人との関わりを深める方法

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    生きがいは、自分の賜物を発揮してこそです。そして、その賜物は自分自身のためだけのものではありません。つまり、人との関わり合いが必要だということ。これはもう、自分から行動していくしかありません。

    「一体、どうすればいいんですか?」ではないんですよね。自分から話しかけたり、気分よく過ごして話しかけやすい人になったり、ネットを通して発信してみたいなど、人と繋がる方法はたくさんあります。それをしていくことです。

    生きがいを日常生活に取り入れる

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    何事も、自分から動いていきましょう。気になる人がいれば、声をかけてみる、メッセージを送ってみるなど。とはいえ、無理する必要はありません。すべては、自分に与えられた賜物に沿って、必要な行動をしてみてください。

    神様に対して感謝の気持ちを持つ

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    日常的に聖書を読むことをオススメします。今日一日をより良く過ごすためのメッセージがありますから。聖書の御言葉は心の栄養です。私のアクションとしては、神様に祈ってから聖書を開きます。感謝の祈りです。「いつも御恵をありがとうございます」と自分なりの言葉で伝えています。

    生きがいを持つ人の実例

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    まぁこれは、私なんですけどね(笑)聖書を読むことで、私は長年の心の渇きがなくなり、心が潤いました。つまり、心が深いところから元気になったということ。すると、自分の能力(=神様からの賜物)に気づいたのです。自分のことは、案外見えていませんね。ともかく、気づいたことで、人生の選択肢が突然広がりました。

    生きがいが明確化してくると、不安が消えます。不安なんていう、不確定で幻想すらある幽霊みたいなものは、どうでも良くなってくるからです。何よりも、神様がずっと見守ってくださっていることを心から知ることは、とんでもなく心強いです。

    どのようにして生きがいを発見したか

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    ここが気になりますよね。ここまで一から読んできた人は、もう理解しているかと思います。正直、人それぞれの賜物次第なので、「どのように生きがいを発見したか」というような、答えを教えるような発言は控えたいのが本音です。とはいえ、もったいぶる必要もないためお伝えしますね。

    私の生きがいは「書くこと」です。それも、ただ書くことではなく、「生きる意味と祝福を伝える書き手」であるということ。ちなみに職業はライターです。今思えば、神様に導かれた職種な気もします。「これが私の能力(賜物)なんだ」と、なぜか根拠のない自信があります。フリーランスのライターとして食べていけること、これは神様の采配あってのことだと感じております。

    生きがいの重要性の再確認

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    そもそも、生きがいはなくても生きていけます。しかし、生きがいを見つければ、人生の景色は途端に変わります。私が体験しているのでハッキリと言えることです。同時に、生きる意味すらもわかってきました。自分の中の軸が定まっていく感覚がしました。

    お金では買えない価値、それが生きがいです。誰かに聞いてもわかりません。人はわかりません。だから、神様に聞いてみてください。心から信じ、助けてくださいと、聖書の神様に拠り頼んでみてくださいね。きっとあなたの道が開けていくハズです。

    このブログでは、神様の御言葉をシンプルにお伝えしております。聖書がよくわからない方も、ずいぶんと読んでいる方も、ぜひいろいろとご覧ください。きっと、「これは私へのメッセージだ」と感じるものに出会えるはずです。そう心を込めて書いております。

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    特徴:20世紀に最も親しまれたポピュラーな訳
    特徴:大正時代ならではの文学感のある文章
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