インスタ、見るたびに疲れていませんか?

なんとなくインスタを開く。素敵な写真、整った暮らし、おしゃれな持ち物。…なのに、見終わった後には、疲れている自分がいる。そんな感覚、覚えがありませんか?私はありました。だからこそ、今はインスタを手放して、すごく楽になったと感じています。手放したのは今から3年前、2022年頃でしたね。私がフリーランスを始めたあたりでした。「インスタ、やかましいな」と。
インスタが精神的によくない理由
おそらく多くの方が理解していると思います。けれど、そこを「ぼんやりと理解」ではなく、正しく心に刻まないと、結局またインスタを見て精神を重たくしていきますからね。注意です。
ともかくインスタを見ていると、自分の本心から生まれた欲望じゃないものが心に湧き上がってくるのを感じるかと思います。「あれ、かわいいな」「これ欲しいな」という反応。いちいち、反射的な反応。感性が常に刺激する感覚。ですので、これは本当に自分の内側から湧いた欲望なのか、それとも誰かの投稿にあてられた一時的な衝動なのか、よく理解しなければ精神疲労をおこします。
見てしまったがための、「欲しい」が止まらない。それって本当に必要なものでしょうか?何かにつけて踊らされ続ける人生が始まってしまいますよ。これは不幸です。
「足るを知る」から遠ざかるSNS
人のキラキラした投稿を見ていると、自分が今あるものに満足する感覚がどんどん薄れていきます。「足るを知る」という言葉がありますが、インスタを開いていると、それを忘れてしまうのです。自分の部屋、自分の顔、自分の生活。今あるものを愛せなくなると、人生は途端に息苦しくなります。自分を肯定できなくなるのですから・・・。
虚構!嘘のような理想の世界が広がる
インスタの世界は、言ってしまえば虚構の連続です。整った部屋、美しい朝食、完璧なスキンケア。あの画面に映っているのは「理想」の切り抜きであって「日常」ではありません。だから、あれと自分を比べたら、誰だって辛くなりますよ。羨ましい、羨ましい、とそんな欠乏感ばかりが刺激されます。次第に精神がおかしくなって当然です。
「カバンの中身」も、ほとんどが演出なのでは?
インスタでよく見る「カバンの中身」の写真。あれ、本当なんでしょうか?私は疑っています。ブランドもののミラー、高級ハンドクリーム、ゴテっとしたポーチ、高級リップ。写真で見ると確かに可愛いのですが、でも、あれ全部を持ち歩けますか?そんな人そうそういないから。もしくは相当無理していますね。本人は無意識でも、心のどこかで「重いな」「疲れるな」と感じているはず。見栄のために日常が犠牲になるって、本末転倒ではありませんか?
そして何よりも、誰も見ていないから!自分一人の気持ちの問題であれば、このキラキラムーブは精神がおかしくなっている指標でもあると思います。危険信号ですよ。
おしゃれは我慢?→いいえ
「おしゃれは我慢」とよく言われます。足が痛くてもヒールを履き続けるだとかもそう。髪はいつも巻くとか、ハイブランドを身につけるだとか。けれど、心身が本当に疲れている状態ならば、もうやめた方がいいという限界のサインかもしれません。
インスタの中の世界に合わせようとするのではなく、自分が心地いいと思える暮らし、自分が「素」でいられる時間を大切にした方が、心はずっと軽くなります。
モノも顔も生活も、ほんとの姿は投稿されていない
インスタの写真に写っていないもの。それが「本当の暮らし」です。私もかつてインスタの虜だったのでわかるのですが、キラキラした写真を撮ろうがなんだろうが、家に帰れば適当な部屋着ですから。アクセサリーも即外しますよ。メイクもしたくない。そんなもんです。
だから、他人の演出された「一瞬」に心を乱される必要なんて、本当は一つもないんです。すべて虚像ですから。
インスタやめたら、自分の感覚が戻ってきた
かれこれ3年ほどインスタをやめた今、私はようやく「足るを知る」感覚を取り戻しました。自分の暮らし、自分の顔、自分の感情に対して、「これでいい」と思えるようになったんです。SNSの世界は、見せるための世界。見せることに疲れたら、見ないことを選んでもいい。自分の感覚と、自分だけの世界を取り戻すために、「やめた方がいい」という選択も、大いにアリだと思います。